「専門って浅いんですよ」 発言がブーメランになった!「統計学の専門家」藤井聡京大大学院教授【篁五郎】
おそらく藤井教授は「だから専門に分けるとダメ。昔は赤ひげ先生みたいに医師はどんな病気や怪我も診てみた。専門に分けたからいかんのです」というだろう。しかし現在でも、医療は救命救急部門を設けてどんな病気や怪我をした患者の治療に当たっている。救命救急で一命を取り留めた後に専門病棟へ移り、治療を続けるのが一般的だ。こうした分担をすることで患者の致死率が大幅に下がり、昔なら助からなかった命が助かるようになったのだ。それができるようになったのも専門分野が多岐にわたっているからであり、医学の進歩があったからこそ専門分野が広がったのだ。
それに現場の医師は専門分野だけしか見ないわけではない。治療は連関しているため内科の医師は専門家には及ばないものの外科知識がある医師がいるし、脳外科医も神経内科の知識を持ち合わせているのも珍しくない。専門分野ではないので誤診をしてはいけない。だから専門知識がある医師に委ねているのだ。町医者が大病院と連携しているのは設備の問題はあるが、連携して取り組むことで誤診や医療ミスを防ぎ、より良い治療を提供するためだ。
「専門って浅いんですよ」
そういった藤井教授の知識の浅さこそ薄っぺらく軽い。
そんな藤井教授は薄さを現しているのが言論人としての顔だ。保守主義を主張しており、コロナ禍以前から「全体主義」や「大衆社会」への批判を繰り返してきた。大衆社会や全体主義への批判といえば、思い浮かぶのがハンナ・アーレントである。アーレントはナチスドイツの全体主義や、ナチスの手口にまんまと嵌った大衆社会への批判を繰り返してきた。アーレントは「全体主義の起原」で全体主義は、成熟し文明化した西欧社会を外から脅かす「野蛮」などではなく、もともと西欧近代が潜在的に抱えていた矛盾が現れてきただけだと記した。一方、藤井教授もアーレントを取り上げて大衆批判をしてきた一人である。アーレントの「凡庸なる悪魔」を取り上げ、ご都合主義による大衆の思考停止を批判してきた。
だが、そのアーレントが嫌ったのが統計学である。アーレントは「一回きり」「その人にしかない」「その一瞬しかない」を重視していた。しかし統計学というのは、人間一人ひとりが固有の存在ではなく、横並びや同じ方向性に行く大衆現象があるから嫌いだという。彼女は集団主義的な大衆社会と統計学は非常に親和性が高いと述べていた。
要するに藤井教授がアーレントを用いて、大衆社会を批判するのはお笑い草でしかない。なぜなら何度も何度も記したように藤井教授のコロナ論は統計学に基づいているからだ。でたらめだらけで専門家から「学士レベルも理解していない」と言われても統計学を使ったのは明々白々だ。
コロナで反自粛を訴えたときに、まさに「個の自由を止めること」や「学生には今、この瞬間しかない」と批判をしながら、人を固有の存在として認めない統計学を駆使してコロナを矮小化していたのは藤井教授その人である。まさにミイラ取りがミイラになったも同然。
アーレントもこんな人に自分の名前を使って大衆社会と全体主義批判はされたくないだろう。もはやご自身が言ったように「僕が間違えていたら筆を折ります」を実践するしかない。
文:篁五郎
1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾にて保守思想を学び、個人でも勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。